小泉政権の目玉だった郵政民営化の流れを、民主党政権は"逆向き"に大きく舵を切った。政府は10月20日、郵政民営化見直しをするための「郵政改革の基本方針」を閣議決定した。これは、郵便事業にとどまらず、貯金や簡易保険など金融サービスも全国一律の提供を義務付けるほか、郵便局ネットワークを地域の行政サービス拠点として活用することが盛り込まれたものとなっている。さらに日本郵政の社長だった西川善文氏を辞任に追い込み、代わりに起用したのが、こともあろうに元官僚の斎藤次郎・元大蔵事務次官(73歳)である。こうした動きを見て、民主党は「何を考えているのか」と問い詰めたくなるのはわたしだけではないだろう。
「天下りではない」と否定する民主党、14年経ったらよいのか?
斎藤氏を日本郵政の社長に据えたのは小沢人事であろう。斎藤氏は小沢幹事長とは「刎頸の交わり」というべき親しい仲である。二人はこれまでに水面下でいろいろ意見交換をしてきたのだろう。突然登場したにもかかわらず、記者会見で、斎藤氏は郵政問題についていろいろ考えを述べていたのがその証拠だ。官僚出身(だから「悪い」というわけではないが)の斎藤氏が日本郵政の社長に就いたことに国民が納得したかどうかは、本人の適性とは別の問題として考えなくてはいけない。何しろ民主党は、自民党政権時代に官僚の天下りを大々的に批判してきたのだから。2008年に日銀総裁を選ぶときのやりとりを記憶している読者も少なくないだろう。あのとき官僚出身(元財務事務次官)の武藤敏郎氏を打ち出した自民党に食ってかかり、最後まで認めなかったのは民主党ではないか。衆議院では武藤氏が認められたが、参議院では民主党の反対多数で否決され、ねじれ国会の弊害が話題になったものだ。結局、副総裁として認められていた白川方明氏が総裁に就任することになったわけである。ところがその民主党が今回、郵政のトップとして官僚出身の斎藤氏を連れてきた。それどころか、経営陣や取締役にもこれでもか、というくらいの官僚出身者を任命している。当然野党になった自民党は仕返しとばかりに「これは天下りではないか。あなた方がさんざん批判していた天下り、根絶すると断言してきた天下りを、自ら行うのはおかしくはないか」と問い詰めた。自民党がこんな批判をすること自体が「語るに落ちる」という気もするが、指摘そのものは妥当だろう。それに対して民主党は「官僚を辞めて14年も経過している人だから、天下りには当たらない」と、"斬新"な言い訳をした。皮肉を込めていうなら、民主党は「官僚を辞めてから14年以上経過したものは、天下りには含まれない」という新しい定義をしたのだ。これで、今後14年過ぎた場合は、天下晴れて堂々と天下りができる時代が到来したことになる。国民の大きな批判にさらされながら天下りを続けてきた官僚にとって、この新しい定義はさぞかし素晴らしい福音として響いたことだろう。
再国営化するゆうちょ銀行は「国債消化機関」になる
民主党が斎藤氏を連れてきた本当の理由は、おそらく政府が無駄遣いできるシステムを作り上げることだろう。これは「カネはいくらでもある。ドンドン使え」の亀井大臣にとっては首尾一貫した任命である、と見ることができる。その点で斎藤氏の任命は思いつきや偶然ではなく、必然であったのだ。前回の当連載でも言及したが、2010年度予算が概算要求段階で95兆円に膨らんだ。これはまさに無駄遣いの積み重ねだが、その巨費が何を意味するかと言えば、膨大な赤字国債の発行が不可避ということだ。そして、それを解消するために必要だったのが、「国債消化機関としてのゆうちょ銀行」だったのだろう。実際、民営化以前の郵便貯金というものは、まさに国債消化機関と呼ぶべきものであったのだから、その以前の姿を復活させようというわけである。民主党は、郵政改革の見直しは「民営化を否定するものではない」と言う。だが、民営化した金融機関に国債の買い取りを強制するわけにはいかないし、国の御用機関になることもできない。株主利益と相反することになるし、経営の自由を奪うからである。民主党は自由主義経済のイロハを知らないわけではあるまい。実際、今回の見直しは、経営形態の見直しではなく、民営化そのものの見直し、と考えるべきであり、方向性としては再国営化以外の何ものでもない。民主党は郵政民営化の流れに対して、歯車を逆に回す完全なるリバースギアをかけたのである。
前任の西川氏は、曲がりなりにも民営化の意図に沿って事業を進めてきた。例えば国債についても、資金の20%程度は国債以外のものを使って運用しようとやり始めていたのである。それは民営化するなら正しい方向だと評価できる。ところが今回の斎藤氏の就任で、西川氏の努力は水の泡となり、少なくとも追加的に50兆円、60兆円くらいの国債はゆうちょ銀行が買わされることになるだろう。藤井財務大臣は「赤字国債発行50兆円」と思わせる発言をしている。確かに、ゆうちょ銀行を国つまり政府が自由に動かし、運用をすべて国債にすれば実現可能な数字ではある。しかしそれは、たとえて言えば昔話の「舌切り雀」が食べてしまった糊(のり)のようなもので、後から世にも恐ろしい舌切り婆が出てくるのだ。今回の人事はそれを予感させるものではないか。
大騒ぎされた「かんぽの宿」問題は実は「ちょっとした失策」に過ぎない
郵政については、以前から細かい問題が大きく取り上げられてきた。例えばそれは、膨大な予算をかけて全国に作った「かんぽの宿」が二束三文で売却されることになった件だ。当時、日本郵政社長だった西川氏はマスコミから大きく叩かれたし、また自民党政権時代の鳩山邦夫総務大臣に強く批判されたが、結局、売却には至っていない。この「事件」はあまりに大きく取り上げられたので、大問題だと認識している読者も少なくないだろう。しかし、冷静に考えてもらいたい。郵政が抱えるさまざまな問題について全体の流れから見れば、かんぽの宿売却問題など「ちょっとした失策」といったレベルのことなのである。鳩山総務大臣(当時)は「あんな高い値段をかけて作ったものを、こんなに安く売るなんて」と批判したが、しかし数多くの宿泊施設の中で、二つ三つ非常に安く売却されるものがあったということが一体どれほどの問題だと言うのだろう。念のため申し添えておくが、わたしは税金の無駄遣いを是としているのではない。しかし今の不動産業界の実情を見てほしい。100億円かけて作った不動産が5億円で売られるというような例は、ザラにある。かんぽの宿の価格は、キャッシュフローベースできちんと評価できる能力のある人が計算して、それが正しい評価であれば文句を言う筋合いのものではない。入札参加者を巡って若干公平を欠いた点があったのかもしれないが、マイナーな問題に過ぎないのである。
節操もなく巨額の財政赤字と累積赤字を垂れ流してきた
郵政問題の本質は、運用能力を持たない国家が国民からお金を集めてしまうことにある。「国の補償があるから安心」といって国民のお金をかき集め、そのお金でそのまま国債を買って、借金による国家運営を支えてきた。運用能力どころか、貸し出しのための審査能力にも欠けるのだから、民間企業に融資するようなことができるはずもない。ゆうちょ銀行は民営化以前から運用・審査の経験がないし、法人貸出事業部などもない金融機関だった。西川氏はそれに挑戦し、法人貸出事業部も作ろうと努めてきた。しかし、斎藤氏の就任で民営化が逆戻りとなれば、もう期待はできない。「ゆうちょ銀行は(審査の要らない)国債を買うための機関」となり果てるだろう。つまり、郵政民営化の「時計の針」は10年以上前に戻ることになる。結局、ゆうちょ銀行のような都合の良い仕掛けがあるから、日本という国は節操なく巨額の財政赤字と累積赤字を垂れ流してきたと言える。民営化とはそれを食い止めるためのものだったはずだ。ところがこれが昔の状態に戻ることになれば、国民にとって極めてゆゆしき問題なのである。
経済が縮小しているとき、国営化と福祉に舵を切るのは正しくない
もともと小泉改革で郵政三事業の民営化を打ち出したわけであるが、私は当時からこの方向性は間違っている、と主張してきたし、本連載でも何度かその意見は述べてきた。それは、今回の議論以前の問題として、郵政三事業は歴史的意義を終わっており、民営化するのではなく、廃止すべきだ、という主張である。郵貯や簡保のような機能は今では銀行や農協などが全国津々浦々にあり、郵便局がなくなっても困るものではない。問題は大赤字の郵便事業であるが、これは今までの仕掛けでは儲かっている金融事業が赤字を補填する形で辻褄を合わせてきた。しかし、そもそもこの事業が赤字になったのは民間企業が台頭してきて、価格を下げたからである。つまり郵便事業そのものは、政府がやり続けるのではなく民間へ売却し、価格とサービスを競わせるのが国としての正しい決断であったはずだ。だから小泉内閣の郵政事業の民営化そのものが間違った諮問であり、それを民営化して一般株主が所有する、となれば、後戻りできなくなる。それが誤りである、というのが私の主張であった。今回の見直しはその限りにおいては「間に合って良かった」ということになるが、問題はその趣旨と背景である。つまり、存在理由のなくなった三事業を、まとめて国の御用機関とし、そういう恣意的な組織体を「民営化する(すなわち一般株主に所有させる)」と主張する民主党の感覚である。まともに思考している人々の言うこととは考えられない。マスコミもその言葉の持つ矛盾と恐ろしさに対して無口である。全体主義的な亀井大臣のやり方に手をこまねいているだけなのかも知れないが、ここは議論しなくてはいけない肝心の時である。民主党はJALに関しても実質国営化の方向を示しているし、厚生労働問題でもかなり重装備の福祉国家の方向に進もうとしている。経済のパイが拡大し、パイが大きくなっているときには、余力を福祉に回す、というのは正しいやり方だと思うが、経済も縮小し、税収も著しく減少しているときに国営化と福祉に舵を切る、というのはどう見ても正しい選択とは思えない。国民がそうしたことを承知の上で民主党を選択したのかどうか、再び問われる日もそう遠くないだろう。
金融機関は「産業の血液循環剤」として機能すべきだ
当面は大型の予算を組み、赤字国債を買い取る仕事をゆうちょ銀行に持たせ、見掛け上は辻褄が合う。しかし、対GDPで累積公的債務が200%にもなるのを目前にして、誰かが国債は本当に大丈夫か?と叫んだ途端に暴落する、という危機が刻一刻と迫っている。長期国債の利回りがジリジリ上がっているのは、その何よりの証拠だし、また他の先進国を見回しても日本のレベルまで国債を乱発しているところはない。普通の国ではいくら国債を出しても、買い手がいないからである。最悪なのは、日本の失われた15年、すなわち金融危機に際して公的資金を入れるなり、金融庁主導の合併吸収を繰り返してきた日本の金融機関が様変わりしていることである。つまり、国債の問題がゆうちょ銀行だけのことではない点だ。日本の銀行は「産業の血液循環剤」という銀行本来の機能を失い、いつの間にか、ゆうちょ銀行と同様に国債を買うための機関になってしまった。かつての都市銀行は、法人融資と個人融資に力を入れていたのだが、今はどうだ。ほとんどがそういう努力を放棄し、個人に対しては消費者金融を通じて高い金利で貸し出すのが主で、法人に対しては系列には甘く、中小企業にはほとんど貸し出さない。一方、金融庁の審査が甘くなるファンドを通じて法人へ貸し出す、などの異常なやり方が普通になってしまった。
この間、預金に対しては0.1~0.4%などという超低金利であったので、銀行はリスクの高い貸し出しをしなくてもひたすら国債を買えば、利ざやが1%以上稼げる。金利を3%払わなくてはいけない、となれば4%で借りてくれるところを必死に探さなくてはいけない。しかし、国債を買っていれば十分さやが抜ける、という現状では無理して貸し出すよりも、安易に国債を買った方が何かと都合がいいわけだ。かくして銀行はその三大業務(決済、預金、貸し出し)の中で、決済には(ATMや送金などで見られるように)高いフィーを取り、貸し出しを渋りながら、預金の多くで単純に国債を買うだけの怠慢な経営になってしまったのである。国の資本が注入された銀行は国ににらまれることを極端に恐れている。したがって巨大都市銀行は、国にとって都合の良いゆうちょ銀行と同じ機能に陥ってしまっているのだ。しかし、金融機関が「産業の血液循環剤」としてしっかり機能してくれないと、経済は停滞したままになる。そうなれば日本の将来は暗い。斎藤氏就任のニュースを一企業の社長交代劇だと単純に片付けるわけにはいかない。このまま進めば、ゆうちょ銀行も他の銀行も、すべては国策に沿って国債買い取り機構となり、「西部戦線異状なし」状態で何の不都合もなく財政赤字を消化する装置が出来上がる。そして国債の格付けが低下し、どこかで矛盾が露呈して、この良くできた仕掛けが破綻することになる。日本がアルゼンチンになる日である。
出所 大前研一の「産業突然死」時代の人生論
nikkeibp.co.jp
コメントする